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2007-01-13 Sat 21:10
人の一生
二年六組 ○○○○○ 人間誰にでも何かを大切に思ったり、誰かを思いやる心がある。 自分にはないと思っていても、あまりに小さく些細なことだから気づいていないだけ。 そこに善悪や大小の差はあれども、必ず一つはあるはずである。他者との触れ合いの中で生きている私たちには、確かにその欠片を持って生きている。 例えば、何かを守るために自分が犠牲になったり。何かをやり遂げるために自ら堕落したり。 そしてこの本のように、誰かのために生き、自分を犠牲にして死んだり。私は必ずしもこのような自己犠牲が正しい生き方だと思わない。 しかし、それらはとても清らかで美しい。 主人公キクもそうだった。キクはその時代禁じられていたキリスト教徒の、清吉という男性に恋心を抱く。その気持ちは悲しいくらいに真っ直ぐで、純真だった。どんなに自分が傷つこうとも、何が起ころうともずっと清吉のことを想い続けた。 私には最初、その気持ちがよくわからなかった。しかし読み進めていくにしたがって、私はキクの物語にどんどん魅了され、キクの人生に入り込んでしまっていた。 キクの生涯は決して幸せばかりでなく、むしろつらいことの方が多かっただろう。しかし私は、キクの生き方をとても羨ましく感じた。愛する人のために死んだキク。いつも強く、まっすぐだったキク。キクは最後、自分は汚れてきってしまったと自らを責めるが、彼女は誰よりも澄んだ奇麗な心を持っていたのだと思う。それ故に、儚く、傷つきやすかった。 キクの最期は私にとって本当に切なく、胸がキリキリと痛んだ。どうしてこんなに苦しく悲しい恋を、キクがしなければならなかったのか。どうして運命はキクをそうさせたのか。確かにキクの生涯は幸せではなかったかもしれない。しかしキクはどんな時も諦めず前を向いて懸命に生きていた。――たった一人のために。 そして私がキクと同じように感銘を受けたのが、伊藤の一生だった。最初、キリスト教徒に酷い拷問をしキクが清吉にと渡したお金を着服した伊藤を、私は憎く思った。そしてまた、キクを低俗なやり方で苦しめた伊藤を許せなかった。 しかしあの時代、もし伊藤と同じ立場にたたされたら、きっと誰もが似たようなことをやっていたに違いない。良くないこととわかっていても、被害を受けたくない為や、それが楽なことだとやってしまう自分。そして後で後悔し自己嫌悪にひたる自分。善と悪の心が共存し、どちらかといえば悪の心が強く大きくなってしまう自分。誰にでもこんな心の弱さを持っているのではないだろうか。 終盤、伊藤が自分の欲望だけでキクを苦しめていたと思っていたが、徐々に伊藤のキクへの正直な気持ちが伝わってきた。同時に伊藤に対する私の気持ちも変化しつつあった。 歪んだ形でしかキクを愛せなかった伊藤は、権力の上では優位に立っていたとしても、一番弱く悲しい人間だったのかもしれない。私は、キクとは相反する伊藤の切なく悲しい愛の形に同情してしまった。 物語の最後に清吉と伊藤は再会する。そこで伊藤はキクを卑怯な手で苦しめたこと、自分がキクを殺したようなものだということ、そしてキクを深く愛していたということを清吉に告げる。それを聞いた清吉は怒りと口惜しさで体を震わせる。このシーンから二人が一人の女――キクにどれだけ強い想いを持っていたのかということが、痛いほど実感できた。 伊藤の恋は決して叶うことのない片恋。 清吉とキクの恋は互いを想い慕ったが、死に別れてしまった悲恋。どちらも悲哀に満ちた恋の結末だった。 この本を通して、人間の醜さ、そしてそれ故に人間が儚く美しいのだということ。キクや清吉さんのように、決して折れることのない気持ちを持つことの美しさ。これらのことを私は心の深いところで受け止められた気がする。 『女の一生 キクの場合』 遠藤周作(新潮社) やっとこさファイルの山から掘り当てました!!!!!去年の夏休みの学校の課題として出された読書感想文! ぁーこれむっちゃ頑張った記憶が…。 誤字脱字あると思いますが読んでくれると嬉www |
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| からくり苺 |
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